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ルートヴィッヒ2世     ~ Neuschwanstein 築城まで ~

2005/11/20~2005/11/27 ドイツ ロマンチック街道・スイス アルプス・パリ 8日間   11/22(1)

さて今日は、ロマンチック街道の最終地点、
待ちに待った、『ノイシュバンシュタイン城』見学です(>_<)

> 今回の私達の旅行の大目玉は、この『Neuschwanstein』 観光なのです!!
  中学の頃 社会の授業中、授業をよそに 資料集(図説)を見ていた私は、
  ある お城が載っているページで、あまりの美しさに手をとめ、見とれ惚れてしまいました。
  それがこの、Neuschwanstein でした。
  以降、ヨーロッパに行くなら、1カ国目は絶対にドイツ!!! と決めて数年、
  短大に入った私はそれを友人S に話したところ、同じくドイツに興味をもっているということを知り、
  是非一緒に!! と行くことになったのでした(^ ^)♪


それではまず、このノイシュバンシュタイン城築城の親、『ルートヴィッヒ2世』についてお話します。
c0076823_14155695.jpgルートヴィヒは父マクシミリアン2世とプロイセン王女マリアとの間に生まれます(その3年後には弟のオットー1世が誕生)。彼が生まれて3年後、祖父ルートヴィヒ1世が退位、父が国王として即位し、祖父と同じ名を持つルートヴィヒは王太子となります。父が執務で忙しかったため、彼はゲルマン神話と騎士伝説などの物語を読む事で幼少期を過ごしました。
19歳の頃に、父マクシミリアン2世が逝去。ルートヴィヒは王として戴冠を受けることになります。
数年後、ワグナー事件を起こし、以降、執務を嫌うようになります。
そして、幼い頃からの夢であった騎士伝説を実現すべく、中世風のノイシュヴァンシュタイン城など豪華な建築物に力を入れるようになりました。
1866年の普仏戦争で、弟オットー1世が精神に異常をきたした事で、ルートヴィヒはますます現実から逃れ自分の世界に入り込んでしまいます。昼夜の生活が逆転し、一人で食事を取り、あたかも客人が来ているかのように語っていたり、夜中にそりに乗って遊んでいたところを地元の住民に目撃されたと、言われており、一説では精神病を患っていたとも言わています。

月日は流れ 1886年06月12日、依然変わらぬ彼の行動に危惧を感じた家臣たちは、
ルートヴィヒの退位を企み、ルートヴィヒを住んでいた城からベルク城へ送ります。
しかし その翌日(06月13日)、シュタンベルク湖畔で医師のフォン・グッテンと共に水死体となって発見されました。
c0076823_14195437.jpgc0076823_14284962.jpg…その死の詳細は未だ謎のまま…

生前ルートヴィヒは「私が死んだらこの城(ノイシュヴァンシュタイン城)を破壊せよ」と言い残しています。
それは彼が城を自分の世界にとどめたかった意思からきた言葉であったが、地元の住民らはその美しい城を壊すことができずにそのまま残し、現在は観光施設を兼ねた文化財として大切に守られています。
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by typeXxxx | 2006-09-03 00:12 | - Germany